介護について
今思うと 長かったけれど短く感じる介護だった。
14年前 主人の母が脳梗塞で倒れ残念な事に左半分が不自由な体となってしまった。
倒れて3ヶ月近所の病院に入院し その後車で片道2時間半近くかかるリハビリ専門病院に
半年入院した。
父を迎えに行き母の病院への往復・・・まるまる一日がつぶれた。
父とレストランで食事をしたり 天気のいい日にはお弁当を買って木の木陰で食べたり・・・
あの頃は一生懸命だったな~
その後自宅療養となった。
あの頃はまだ介護の制度がなく家族で面倒をみるのが普通だった。
子供のいない私は 赤ちゃんのおむつも変えたことがないの義母のおむつを替え 一緒には
住まないという事からたくさんの保存食や料理を持参して洗濯をしたり すごく忙しかった。
(今の私には想像もつかないことでしょうね~笑)
主人の姉が3人もいるのだが 全然~ 長男の嫁だから それが現実~?笑
ある日 車を運転してても歩いてもフラフラな自分がいた。
あまり頑張りすぎるのもいけないな・・・
たまーにしかいかない姉達が喜ばれ いつもいっている自分が当たり前の様になっていた。
ちょっとやだな・・・
その頃ヘルパー制度ができ ヘルパーさんがきてくれる様になった。
これは本当にありがたかった。
その頃からは 週に2回位 食べ物を持っていって話し相手になればいい位になった。
介護というのは 介護する人も大変だが 介護される側もかなり辛いものだ。
一日中家に居て あまり人と接する事もなく寂しい毎日・・・
最後の3年は施設に入ることになった。
かわいそうだなと思ったが 腰痛の私がいたし 母も何度かディーサービスを受け皆と
過ごすものいいものだと感じたらしい。(だといいのだが・・・)
一度 傷ついた事をいわれた・・・
「私がこんなに苦しい病気になったのも ○○(自分の息子 つまり私の夫)が病気なのも
○○(私)ちゃんの水子のせいだと思う。ちゃんと供養したの?」
これはがーーんときた。ちゃんと高野山で供養もしたし はっきり言ってその頃は頭にきた・・・
でも 今思うと 何かに当たりたくなるほど苦しかったんだと思う。
それをわかってあげられなかったその頃の自分が情けない・・・
施設に入ってからは姉達もおとずれる様になり 実際はどう思っていたのかわからないが
まあ良かったのだろう。
そして2年前に他界した・・・
何故こんな事を思い出したかっていうと 昨日会ったさくらママちゃんがすごい!と感じたから。
さくらママちゃんのお母様も同じ病気で今闘っている。倒れてからずーと彼女が1人で面倒を見てきていたが訳あってしばらく施設に入所していたがこの3月から自宅療養となる。
さくらママちゃん去年自分が大病をし(公のブログに書いているので書かせてもらうね)その
病気が落ち着いたらまた自宅で面倒みるって事でしばらく施設に入所してもらったという事だ。
自分が病気と闘っているにもかかわらず 病気の母を1人で面倒みる。
今介護制度が手厚くなったとはいえ 中々できる事ではない!
しかも 彼女はブログの中でも明るくて強いし 実際にあっても明るく前向き・・・
頭あがんないよ!すごいよ!
これから お母様が自宅に戻ってこられて 時間を共有できる事は楽しい事かもしれないけれど大変な事もたくさんあるでしょう~
でも 彼女は それを愉しみながらやっちゃう! すごい!
さくらママちゃん お母さまと楽しく暮らしてね!!!
昨日のさくらママちゃんのお話を聞いていて 自分のいたらなさを感じた私でした・・・
14年前 主人の母が脳梗塞で倒れ残念な事に左半分が不自由な体となってしまった。
倒れて3ヶ月近所の病院に入院し その後車で片道2時間半近くかかるリハビリ専門病院に
半年入院した。
父を迎えに行き母の病院への往復・・・まるまる一日がつぶれた。
父とレストランで食事をしたり 天気のいい日にはお弁当を買って木の木陰で食べたり・・・
あの頃は一生懸命だったな~
その後自宅療養となった。
あの頃はまだ介護の制度がなく家族で面倒をみるのが普通だった。
子供のいない私は 赤ちゃんのおむつも変えたことがないの義母のおむつを替え 一緒には
住まないという事からたくさんの保存食や料理を持参して洗濯をしたり すごく忙しかった。
(今の私には想像もつかないことでしょうね~笑)
主人の姉が3人もいるのだが 全然~ 長男の嫁だから それが現実~?笑
ある日 車を運転してても歩いてもフラフラな自分がいた。
あまり頑張りすぎるのもいけないな・・・
たまーにしかいかない姉達が喜ばれ いつもいっている自分が当たり前の様になっていた。
ちょっとやだな・・・
その頃ヘルパー制度ができ ヘルパーさんがきてくれる様になった。
これは本当にありがたかった。
その頃からは 週に2回位 食べ物を持っていって話し相手になればいい位になった。
介護というのは 介護する人も大変だが 介護される側もかなり辛いものだ。
一日中家に居て あまり人と接する事もなく寂しい毎日・・・
最後の3年は施設に入ることになった。
かわいそうだなと思ったが 腰痛の私がいたし 母も何度かディーサービスを受け皆と
過ごすものいいものだと感じたらしい。(だといいのだが・・・)
一度 傷ついた事をいわれた・・・
「私がこんなに苦しい病気になったのも ○○(自分の息子 つまり私の夫)が病気なのも
○○(私)ちゃんの水子のせいだと思う。ちゃんと供養したの?」
これはがーーんときた。ちゃんと高野山で供養もしたし はっきり言ってその頃は頭にきた・・・
でも 今思うと 何かに当たりたくなるほど苦しかったんだと思う。
それをわかってあげられなかったその頃の自分が情けない・・・
施設に入ってからは姉達もおとずれる様になり 実際はどう思っていたのかわからないが
まあ良かったのだろう。
そして2年前に他界した・・・
何故こんな事を思い出したかっていうと 昨日会ったさくらママちゃんがすごい!と感じたから。
さくらママちゃんのお母様も同じ病気で今闘っている。倒れてからずーと彼女が1人で面倒を見てきていたが訳あってしばらく施設に入所していたがこの3月から自宅療養となる。
さくらママちゃん去年自分が大病をし(公のブログに書いているので書かせてもらうね)その
病気が落ち着いたらまた自宅で面倒みるって事でしばらく施設に入所してもらったという事だ。
自分が病気と闘っているにもかかわらず 病気の母を1人で面倒みる。
今介護制度が手厚くなったとはいえ 中々できる事ではない!
しかも 彼女はブログの中でも明るくて強いし 実際にあっても明るく前向き・・・
頭あがんないよ!すごいよ!
これから お母様が自宅に戻ってこられて 時間を共有できる事は楽しい事かもしれないけれど大変な事もたくさんあるでしょう~
でも 彼女は それを愉しみながらやっちゃう! すごい!
さくらママちゃん お母さまと楽しく暮らしてね!!!
昨日のさくらママちゃんのお話を聞いていて 自分のいたらなさを感じた私でした・・・
by kohaku0000
| 2007-02-28 22:40
| 心
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